2009年6月24日水曜日

6/24 Today 壬申の乱始まる (672)……今日はやっぱりこれ(再掲)

壬申の乱 - Wikipedia: "大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月27日)に吉野を出立し伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れる。"

天智天皇の譲位の申し出を陰謀と見抜き吉野に逃れた大海人皇子はこの日ついに挙兵を決意する。皇子に続くものは妃の讃良皇女(後の持統天皇)ほか腹心の部下わずか20数名。夜闇に紛れ一行は伊勢にたどり着き、いよいよ軍勢を整えて滋賀へと攻め上る。古代最大の内乱である壬申の乱はこうしてはじまった。

壬申の乱ほど面白い物語はないですよ。日本史で一番面白いとも言える。肉親同士の確執あり、純愛物語あり、陰謀あり、裏切りあり、不倫あり、大戦争あり、手に汗握る大逆転あり、何でもありなのである。映画とかテレビにすればこれほど面白いものはないと思うのだが、不思議なことに今までこれが映画化されたことはない。天皇家の内輪もめを娯楽映画にするのは恐れ多いという遠慮からだろう。シェイクスピアがイギリス王室を題材に多くの名作を残したのとは対照的。日本にシェイクスピアは出ないのか。

大海人皇子(天武天皇)は恋人の額田王を兄の天智天皇に横取りされ、それを恨んでの反乱との説がある。当時もう既に額田王は40を越していたのでこれは俗説であるとの見方が主流だが、散人としてはこの説がロマンティックで好きだ。あくまでもお話しとして楽しめればそれでいい。

 天皇(天智)蒲生野に狩猟せられしとき額田王よめる歌
(註;詠んだ相手はもちろん昔の恋人大海人皇子)
あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

 大海人皇子答ふる御歌
紫のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆえにわれ恋めやも
(註:人妻というのは額田王が天智天皇のものであったことをさす。亭主の前でなんたる大胆さ)

万葉集の中でも散人が一番愛して措かない一節です。

(余談)古代の反乱では、いったん東に逃れてそこで兵を集め都に攻め上るというのが一般的なパターン。だから反乱となると東国への連絡線を遮断するため真っ先に関所が封鎖された。中世になって源頼朝は同じパターンを踏襲。流人の頼朝はいったん三浦半島から房総に逃れ、北回りで現在の千葉と東京あたりを移動しながら兵を集め、今度は一挙に南進し鎌倉に攻め上った。腕っ節の強い東国の武士(まあ農民だね)を味方に付けることが出来るかどうかが反乱が成功するかどうかの鍵を握っていたのである。平成の世も基本的にはこんな構図で世の中は動いている。都市住民の声は力で無視されるのだ。こういう古代的なやり方からそろそろ卒業したいね。


(初出:2003.6.24)

さて、現代ニッポンでも兵乱の動き。泣いても笑っても今年は衆院選挙なのだ。壬申の乱の展開となるか。でも役者不足の感があり、なんだかつまらない。与野党とも腕っ節の強い農民票の獲得しか頭の中にないみたいだから。

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